教育的な意図

子どもたちが自由に遊びを選択して遊べるように、保護者には「指示語・禁止語を極力使わないでいてみてください。」というルールを設けています。
なぜそういったルールを設けるのでしょうか?

遊びの中の学びとは

遊びの中の学びとは、子どもたちが遊びながら自然に学び取ることを指します。遊びは、子どもたちが好奇心や探究心を刺激するための重要な手段であり、さまざまな能力やスキルを発達させることができます。
例えば、子どもが「馬に乗りたい!」と思ったとします。
馬という大動物(幼児からすれば恐竜といってもいいくらい大きい)を実際に目の前にしたとき、「乗ろうか?」「乗るまいか?」を悩み、乗ると決断し騎乗できた瞬間の達成感は大人が想像する以上の体験となるでしょう。騎乗し馬が歩き出すと、一定のリズムでありなら不安定な馬ので背で、落ちないよう自然とバランスを取ろうとします。結果、本人が気づかないうちに三半規管が刺激され、体幹を鍛えることができます。
遊びは、学校での授業や教科書だけでなく、子どもたちが自分で発見し、体験することで深い理解を得ることができる貴重な学びの場です。そのため、教育現場や保護者にとって、遊びの重要性を認識し、子どもたちが自由に遊びを楽しむ機会を提供することが大切です。

教育的な意図
教育的な意図

それは「遊び」なのか?

とある園でのエピソードです。
A君が、園庭の隅で砂いじって一人遊びをしていました。
その様子を見た先生が、一人で寂しそうに映ったのか「A君、こっちで一緒に縄跳びして遊びましょ!」っと提案したとろ、A君は「先生、縄跳びしたら、こっちで砂遊びしていい?」と交渉してきたそうでうす。
本人は、砂遊びに没頭していただけなのですが、先生には寂しそうに見えたんですね。
「ひとり遊び」「みんなで遊ぶ」どちらも遊びでありますが、大人からの提案が、時として遊びにならない場合があることを私たち大人は知っておくべきだと思います。

夢を持てない青年たちを垣間見て… 無意識の中に眼差しをむけてみる。

青年になって「将来やりたいことが見つからない。」という相談をよく受けます。
現代社会において「やりたい!」というビジョンを持てることが、稀なのかもしれませんが、世の中を観察してみると、保護者の過保護や過干渉、そしてあらゆるメディアの情報に対して受け身であることが日常であったりすると、自ら能動的に選択する機会が少なく、結果的に「自分が何に興味を持っているのか?」「何が好きなのか?」「何をすることで自分が満足感を得られるのか?」など知覚化※が起こらず、気づいたら青年になっている場合があるように見受けられます。

偏差値50以上の人は、授業をしなくても適した教材があれば勝手に勉強すると言われています。また、自分の経験からも、運動が好きな子は、勝手に体育会系の部活を選び走り回ります。つまり指示がなくとも、する子はするのだと思います。
そうではなく・・・「やらない場合」が気になるんですよね。

また私の実体験も含めてなのですが、人は努力をすれば大概のことは6割できるようになると言われています。なので、学校で努力できれば「基礎学力」や「基礎体力」は、ある程度習得できます。しかし本人が、それが「必要だ」と思える量によって努力の個人差が生じ、結果的に6割に近づくための所要時間が変わっていきます。
(何か先天的な問題がありそうでしたら、医療機関にご相談いただき客観的な判断を得ることをおすすめします。
障がいの程度にもよりますが、大概の6割が3割しかできなかった場合。他のことが7割できることがあります。
そういったことを見極める為にも、過保護過干渉は極力避けた方がいいと思います。)

本人から見て「めんどくさい」ことや「わずらわしい」ことで、他人からみて「とても大切なものだ」とわかっていることが多々あります。しかし、本人が「それがないとまずい」という「気づき」や「危機感」を自ら導きださないと、届かないのだと思います。
なので、日常的に自ら取捨選択を繰り返し「その時のその状況で、どういった選択が最適化のか?」選べる「生きる力」を遊びの中から無意識のうちに育んでほしいと思っています。
※知覚化とは、知覚の対象となる情報を視覚化や聴覚化、触覚化などの手段を用いて、人間が感覚器官を介して受け取りやすくすることを指します。

探求学習「馬とくらす」では、馬とのふれあいや乗馬によって脳が反応して刺激を受け、急激に馬へ惹かれていく子(知覚化した子)に対して最大限サポートしていく所存です。

プログラムラインナップ

探求学習への取り組み

「たまたまの成果」をプログラム化する一つの展開として、パカラッチョで「探求学習」を取り入れる思考が始まりました。

自らやってみた探求学習「なぜ、仙台の動物園に『対州馬』がいるのだろう?」から思わぬ方向へ発展し、令和5年度は対馬市の子どもが仙台までくるまでになりました。

これらのプロセスを可視化していく動画集がこちらになります。